ソシャゲ批判者は過去のゲームに夢を見すぎている

2016年7月7日

昔のゲームも今のソシャゲも本質的には同一だ

何を言っているのか分からないと思う。それは自分でもよく分かってる。言語化することが難しくてもどかしい。

つまり言いたいのは、よく最近は「ソーシャルゲームと従来のゲーム」という風に別種のゲームビジネスモデルが登場したかのように語られることが多いけれど、顧客が得られるエンターテイメントの計算としては何も変わっちゃいないということだ。

顧客が享受しているエンターテイメントの熱量は、与えられる見え方が違うだけで古今で変化していないということだ。

今も昔もゲームは変化していない

最近のソシャゲでは何らゲームにお金を消費しない無課金者と呼ばれる層にも一定以上の楽しみ方を与えるゲーム設計が主流なのでちょっとややこしいのだが、ここは単純化するために「無課金であればそこそこまで遊べて課金すればより上位の体験をできる」タイプのソシャゲを代表としておく。

さて、そんなソシャゲに寄せられる批判というのは大体「課金しないと楽しめない!」みたいな意見だ。無課金でも”そこそこ”遊べるという、そこそこの部分が物足りなくて、だけど課金は絶対にしたくないというタイプの人が行う批判だ。

無課金者の「越えられない壁」問題
無課金者の「越えられない壁」問題

この批判が伝えたがっている点というのは「課金をしなければ楽しめない、払いきりのゲームと違って無尽蔵にお金を吸い取る」という主張だ。

ようはお金を掛けて賭けてかけまくらなければ、一定以上の楽しみが得られない、拝金主義であり不健全であり不平等だという理論だ。見かけ上は確かにそうだろう。

大体のソシャゲでは、ゲームプレイをより円滑だったり画面に華を添えるために課金して、ランダム要素の強いガチャと呼ばれる運試しを行って目当てのアイテムなりキャラクターなりを引き当てなければならない。

ソシャゲ批判者は過去に夢を見すぎている

最悪の場合は大金を投じたけれども、目当ての物に巡り会うことができない可能性だってある。

ソーシャルゲーム批判者たちはその点を指して、不健全であるとか賭博的であるとか批判をするわけだけど、はっきり言ってしまうとその主張は正しくない。間違っている。

だって、元々ゲームなんてのはソーシャルゲームが登場する前から不健全であったし賭博的であって、ソーシャルゲームの登場以前と以後でなんら本質的に変わっていないからだ。

ちょっと従来のゲームに対して夢を見すぎじゃないだろうか。

従来ゲームもガチャと変わらない
従来ゲームもガチャと変わらない

元々従来のゲームは課金要素こそなかったものの、ほぼほぼ全てのゲームが統一価格で販売されていながら、その面白さにはブレがあった。

人生を変えるほどの神ゲーが8000円で販売されていたが、同時に金ドブなクソゲーも8000円で販売されていた。支払う金額は一緒ながらも得られる楽しさで言えば決して平等なんかではなかった。

ソーシャルゲームの与える楽しさと従来ゲームの与える楽しさの現実を比較してみるとよく分かると思う。

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従来ゲームもガチャと変わらない
どちらも得られる楽しさの期待値は一緒だ

元々買い切りのゲームであってもその内包する楽しさは支払った金額によらず不定であったし、ソーシャルゲームだって支払った金額によって与えられる報酬(楽しさ)は人によって様々で不定だ。

どちらのタイプのゲームにお金を支払って、この運要素の強い楽しみギャンブルをしたいかは個人の受け止め方に大きな違いがあるとは思う。

しかし変わらずに言えることはソーシャルゲームだけが博打要素があって運任せというのは間違っていて、元々ゲームなんてのは昔から博打要素を含んだ運任せな娯楽だったということだ。

むしろ基本無料でもある一定の楽しみを与えてくれる分、ソーシャルゲームの方が良心的まである。

まぁ、僕はソーシャルゲーム否定派ですけどね。モバマスもデレステもスクフェスもグラブルも課金してたけどね!