違法ダウンロード利用者が知らない隠れたデメリット

2016年8月18日

Twitterで「違法ダウンロードを正当化するやつを打ち負かすことはできない」という話題を見た。

ネットではいかにお金を支払って商品を購入することが大事かを説く話が転がっているが、この投稿者は「ネットには正義はあったが現実を動かす力はなかった」と締めくくっている。

この話題について考えたとき、違法ダウンロードをしている人たちを愕然とさせるような言い返し方は確かに存在しないだろう。

初めから「貧乏人だから」と逃げている相手は正論なんか聞く気も余裕もないからだ。

まぁ、こういった貧乏人の行動が新たな貧乏人を作っているわけで、貧しい限りだと思うがこの話は別にどうでもいい。大切なのはこの次。

違法ダウンロードの本当の欠点

違法ダウンロードを個人のレベルで見てみると、確かに元手となるお金を消費することなくネット上にアップロードされている作品を無際限に手に入れて遊ぶことができていいこと尽くしかもしれない。

しかし、逮捕されるリスクとかそういうのを抜きにしても違法ダウンロードには欠点が多い

どういうことかというと違法ダウンロードの常態化によって「幸福感の希薄化」が始まるのだ。

人間の幸福感は雑なシステムだ

これは体験したことのある人にしかわからない感覚だと思う。

といってもこれは僕が違法ダウンロード常習者とかいう意味ではなくて、違法ダウンロード体験者と同じような遊ぶコンテンツの飽和状態に放り込まれたことがあるから言えることだ。ちなみに今も抜け出せていない。

何も知らない人たちは、10の面白さを持ったゲームを無限に遊べる環境が手に入れば「10*∞ = 最強」なんて計算を思い浮かべるかもしれないが、これは間違っている。

人が無制限のコンテンツを得られる環境に放り込まれれば、人は一つ当たりのコンテンツから感じ取れる面白さはその総数だけ薄められ相対化される。

つまり1つしか遊べるコンテンツがない環境であれば人は100%の面白さを感じ取ることができるが、コンテンツが100個ある環境であれば1つ辺りからは1%の面白さしか感じられなくなるのだ。

薄まる体験

楽しさへの鋭敏さが失われる

限られたお金をやりくりして、数ある作品の中から「今回はこれ!」と選んだゲームであれば、苦渋の選択をしただけあって頑張って楽しもうとする。

しかし、気が変わればすぐに別のゲームを始められる環境であれば「こっちの方が面白いんじゃね」といった具合に、すぐに興味がうつろい飽きやすくなってしまう。

面白い作品に出会って、他の人と同じようにその面白さを享受したいのならば、なるべく苦労してその作品を手に入れたほうがいい。

ある程度の制限の中で行動できないと、人は幸せにはなれないんだ。

たぶん世の中のほとんどのものを手に入れられる石油王は、凡人が思っている以上に退屈な日々を過ごしているだろう。何事もほどほどが大切だ。

違法ダウンロードを行っている人に、それを知ってほしい。知らなくても僕は困らないけど、少しだけかわいそうに思うから教えてあげるね。